「渇望感」という言葉は最近あまり使われません。
ノドが渇いて、しきりに水を欲しがることを言います。
今、注目されている楽天の野村監督が、以前最近の野球選手のことが話題になった時、「渇望感が無い」と言っていたのを覚えています。
自分で高い目標をかかげ、それをどうしても達成したいと熱烈に思う心が「渇望感」を生むのでしょう。
野村監督は、昔の選手は技術を身につけるにしても、相手選手の癖や弱点をつかむにしても、常に心の中に「渇望感があった」と言っていました。
昔は技術も情報もすべて自分で探し、得ていかなければなりませんでした。
上を目指す時、技術や情報を盗んで自分のものにしました。
そこには、得るための並々ならない努力が必要です。
だからこそ、そこで得た技術や情報は本当に身になったのです。
今の野球は、球団にスコアラーがいて、技術や情報を教えてくれる人がいます。
情報知識はインターネットでも得ることができます。
しかし、そこに「渇望感」がありません。受け身です。
だから、吸収力が昔と比べると特段に引くくなります。
板金加工機では世界大手のアマダという会社は、全寮制の職業訓練コースを開講しました。
最近は親方・子方という徒弟制度もなくなり、技術の伝承ができなくなったためです。
板金加工会社の跡継ぎ候補者を対象に募集をし、1日7時間の講義を行います。
ここでも、単に教えてもらい、与えられるだけでは本当の技術は得ることはできないと思います。
調理の世界の話ですが、昔の調理人は親方や先輩の味や技術を得るのに、お客様が残した料理を素早く口にしたり、鍋の底に残ったスープを手ですくって味見しました。
多くの親方や先輩はその行為を許していましたが、意地悪な人は自分の味を盗まれないようにと調理して使い終わった鍋に素早く洗剤を入れて、味見させないようにしました。
だからこそ盗む方も真剣になって味を盗む努力をしました。
その中から本物の味や技術を習得したのです。
自分の目標を明確に持ち、常に満足しない「渇望感」を持った人が自分の夢をつかむのでしょう。
マリナーズのイチローのように。