今日は昨日の続きで京セラフィロソフィの中にある「真面目に一生懸命仕事に打ち込む」についてお話します。
この言葉は当り前のことで、小さい頃から言われてきた言葉ではないでしょうか。
稲盛さんが言われるのは「私たちが本当に心から味わえる喜びと言うのは、仕事の中にこそあるものです。仕事をおろそかにして、遊びや趣味の世界で喜びを見出そうとしても、一時的には楽しいかもしれませんが、決して真の喜びを得ることはできません。」
またこうも言います。「『仕事だけが人生ではない。趣味や娯楽も必要だ』と言う人がいます。しかし、私に言わせると、それは、本業である仕事に真剣に打ち込むことのできない人が、その代替として、趣味などに自分の喜びを見出そうとしていだけなのです」
働くと言うことに関して、欧米人と日本人は考え方に大きな隔たりがあります。
欧米人は働くことをLabor(レイバー)と言います。
Labor(レイバー)は苦役とも言います。辛いものです。
宗教的な観念で、キリスト教やユダヤ教では労働は罰とみなされています。
欧米人の多くは早くリタイヤして年金生活をするかを楽しみにしています。
一方日本人は死ぬまで仕事をしたいという考えを持った人が多いです。
これも宗教観でしょう。
お釈迦様は「精進」ということを言われます。一生懸命に努めることです。
日本人は生活のためもありますが、もう一方一生懸命働くことで、世の為になることをし、自分の魂を磨くという喜びも見出しているのだと思います。
私も稲盛さんが言われる「人が生まれてきた理由は魂を磨くことです」という言葉は私の信条にもなっています。
明日は「地味な努力を積み重ねる」について書きます。