年の終りに1年を振り返ると何があっただろうか。
私は後悔することが大いです。
夜にはお寺で除夜の鐘が108つ打たれます。
煩悩を払うために打たれ、その煩悩が108つあると言われています。
その中心になるのが「貧・瞋・痴(とん・じん・ち)」です。
ご存じのように人間にある3欲で、仏教の言葉で「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんに)」「愚痴(ぐち)」のことです。
人はこの煩悩から逃れることはできなく、それを犯しては反省して悩みます。
西遊記にもこのことが語られています。
「貪欲」は「むさぼること」で人間の「欲」を表しています。 これは猪八戒。
「瞋恚」は人間の「怒り」を表わし孫悟空。
「痴」は「愚痴」で 真理が見えず理解出来ない為に不満を持つ事を表して、沙悟浄。
そして三蔵法師は自分自身のことです。
人間は常に3欲から離れられないのです。
稲盛和夫さんも、勝間和代さんもこの3毒についてそれぞれの本に書かれています。
ただ、この3欲は全く良くないかというとそうではなく、これが人間が生きていく上での大切な条件でもあります。
これがあったからこそこの世の中が発展してきたとも言えます。
今、私は「利休にたずねよ」という本を読んでいます。
この本は第140回直木賞作品で山本兼一氏の著書です。
その中にもこの3毒について書かれています。
利休の言葉として「人は誰しも毒を持っておりましょう。毒あればこそ、生きる力も湧いてくるではありますまいか」
「肝要なのは、毒をいかに、志にまで高めるかではありますまいか。高きを目指して貪り、凡庸であることを怒り、愚かなまでに励めばいかがでしょうか」
「それは3毒の焔を一段高い次元に昇華させることになる。」
これは山本氏が利休の口を借りて語っていますが、私は得心しました。
私は今の日本は3毒に満たされているように思っていました。
自分勝手な事を主張し人のモノを欲しがり、人に対して怒ってばかりいて、愚痴・妬みばかり口にしているように見てきました。
そのため3毒を否定してきました。
しかし3毒は、志を高次元に高める為に人間に許された力なのかもしれません。
私の亡くなった祖母が言っていた「下見て暮せ。上見て励め」の上を見て頑張る人が沢山出てこなければならないのが今の日本なのかもしれません。
3毒は人間生存に必要なモノで、それを生かす生き方が大切なのです。
ただそれが過ぎれば大きな悩み、煩悩、そして罪になります。それを理性によって押さえる為に、いろいろ学ばなければならない。
年の終りにそんなことを考えています。