題名は「あきらめたから、生きられた」
その題名を聞いてアレッ!と思いました。
普通は「あきらめず生きるぞ!」と思い続けたから生きれたと考えます。
それが逆なので、つい耳を傾けました。
船長の石川さんの船が航行不能になり、潮に流されました。
交信も出来ず、何も出来なくなった時、あきらめたそうです。
考えたのは「出来ないことはあきらめる」
出来ないことをあきらめなかったら助からなかった。
「出来ないことはあきらめる」と考えると、逆にその時に自分で可能な出来ることを探します。
自分でルアーを作り魚を獲ることもしたそうです。
無理をせずいたから助かった。
普通人はあきらめず、頑張らなければならないと思っています。
仕事でも「ネバーギブアップ」
その為に、誰にも負けない努力をします。
しかし突然自分の周りにあった大事なモノが無くなった時時、頑張り続けることが出来るでしょうか。
例えば、アスリートが事故で足を失ってしまってはもう競技は出来なくなります。
いくら頑張ろうとしても出来ません。
それをあきらめずにいると、どうしても事故を起こした関係者に対する恨みや憎しみになり、出来ない環境にある自分が嫌になってしまうでしょう。
逆に「もう足はないのだ」とあきらめれば、また別の生き方が見つかり、生き生きとした人生が送れます。
パラリンピックの選手達はその経験をしている人達だと思います。
私達の年代である団塊の世代もそうです。
若いつもりでも、歳をとり若い時と同じ体力が無くなり、第一線から離れています。
それでも負けず嫌いの人は頑張ろうとします。
でも、年とともに無くなる体力はどうしようもありません。
歳をとり、体力も記憶力も落ちてきたということを良く認識し、あきらめること。
出来ないことはあきらめると、出来ないことで悩むことが無くなります。
そうするとストレスを感じず、その時に自分で出来ることを探し出すことが出来ます。
いつまでも昔のことをあきらめず、放そうとしなければ、新しいことを掴むことは出来ません。
どう頑張っても出来ないことはスパッとあきらめ手放す。
そうして新しい可能性を追い、それを掴む
何かを放さなければ新しいものを掴むことは出来ないのです。
そのような考えは、歳をとっていく私達60歳以上には必要ではないでしょうか。
こんど石川拓治さんが書かれた「あきらめたから、生きられた」を買って読みます。