日本選手の活躍に一喜一憂して、私も結果が気になってしまいます。
でも楽しいオリンピックが開催されている一方、世界や日本では以前と同じように事件、事故が発生し、重要な動きや決定が進行しています。
新聞はその扱いは小さくても、まだ報道されている方です。
テレビではオリンピックの報道が中心となり、その他のニュースがカットされています。
テレビ局にとって「何が大切か」というと、国民が喜ぶものを提供することなのでしょう
テレビの報道は国民が喜びそうなものを提供する大衆迎合主義(ポピュリズム)と言われても仕方がないでしょう。
日本では現在色々な問題が起きています。
原発再開やオスプレイの配備、TPP等が問題提起され、今後の動きが不透明です。
これらの重要な問題に対して私達が賛成反対を言う時、その情報はほとんどがマスコミから得ます。
でも私にはそのマスコミの報道がどうしても公平に情報提供をしているとは思えないのです。
私も原発再開には疑問を持っています。
オスプレイの安全性も不安です。
TPPによる農業の衰退も心配です。
でも本当に私達が得ている情報は、賛否の根拠となる公平な情報でしょうか。
どこかに、「その問題を騒ぎ立てて、報道として思い面白いものにしよう」という意図が隠されているように思います。
一方に偏った情報が多いようです。
パソコンを使えば情報を得ることも出来ますが、多くの国民はテレビや新聞で報道された情報だけを鵜呑みにしています。
原発に関連する放射能も「危険!危険!」ばかりが先走って入るように思います。
過度に心配するあまり、それによる別の弊害の方が心配になります。
今の日本では、もしも原発賛成などというと「非国民」と言われそうな雰囲気です。
私が中高生の頃アメリカやソ連、それに中国は大気圏の核実験をしていました。
その放射能が偏西風に乗って世界中にばら撒かれ、先生に外出する時は帽子をかぶるようにと言われました。
毎日のように自衛隊の戦闘機がその濃度を測るために飛んでいました。
その頃と比べて今の放射能濃度はどうなのでしょうか。
その頃の放射能と今の放射能の比較報道が公平に提供され、その上でどうするかを考えていいはずです。
その放射能を浴びた私達「団塊の世代」は元気なのです。
「米ソが大気圏内核実験を繰り返していた1960年代までは、たしかに東京における放射性セシウムの降下量は、今回の福島の事故が起こるまでの1000倍以上の数値だった」という情報もあります。
勿論だから放射能があってもいいと言っているわけではありません。
ただ、過剰に敏感し過ぎるには弊害が多く、もしかしたら誰かに誘導されているのではないかという気がします。
オスプレイ問題にしても、TPP問題にしても、反対の意見や情報ばかりです。
賛成意見やその根拠情報がもっと出てしかるべきです。
一方の意見が大勢になり、それによりもう一方の意見の根拠となっている情報を黙殺する。
そのことで、もしかしたら本当のことを隠して、間違った結論を出すことになる恐れがあります。
より公平・平等そして自由な情報の公開を求めます。