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起業メンター日記

稲盛和夫経営哲学報告会




先日の中国旅行の続きです。

 

最後に杭州で開かれた「稲盛和夫経営哲学報告会」の内容を紹介します。

 

5人の中国経営者、1人の日本人経営者による経営体験発表です。

 

そこでは経営に対しての志の高さが語られました。

 

その中で特に私が感動した人の話を紹介します。

 

話された内容から抜粋したモノですが、それでも長いです。

 

よろしければ読んでみてください。

 

その人は「盛和塾重慶」に属する「重慶行知教育集団」董事長 呉安鳴(女性)さんです。

 

呉さんの話を書きます。

 

私は1994年に12年間勤めていた公立学校を辞め1998年に「行知職業訓練学校」を設立しました。

 

学校を作るきっかけは2つあります。

 

1つ目は友人に誘われて少年院を訪れた時です。

 

収監されているのは12〜17歳の子供達。

 

その時、彼らが過去正しい教育を受けてきたのであればこの年でこのようなところにいるだろうか、不十分な家庭教育と、不適切な学校教育が少年達を誤った道に踏み入れさせたのだと思いました。

 

もう1つは、私が22歳で教師になった頃の話。

 

その学校内には「最悪」な問題児を集めた特殊クラスがありました。

 

その担任は警棒を持った公安局の人で法治と体育の授業しかありません。

 

座学はありません。

 

このクラスの生徒は暴言を吐き、喧嘩、窃盗を繰り返しています。

 

当時血気盛んだった私は、彼らを良くしたいという衝動に駆られ、上司を説得して外国語の授業をする了解をもらいました。

 

初日、私が教室に入って行くと、教壇に上がるまでにおさげの髪にはフックが掛けられ、服には幽霊と描かれた絵が貼られてしまいました。

 

頭にはチョークが次々と投げつけられました。

 

教壇に上がり彼らと対面した時、彼らはある者は机に座り、ある者は椅子に上がり歌い踊っています。

 

私はおさげのフックと貼られた紙を取り、2分間沈黙した後、一気にしゃべり出しました。

 

彼らよりさらに狂った眼差しと言葉で激しく攻撃し、息を継ぐ暇も与えず、4時間しゃべり倒しました。

 

その内に子供達は授業が終わるのも、トイレを行くのも忘れて聞き入り、そしておとなしく、可愛くなりました。

 

気付くと彼らの目に涙、私自身も涙で顔が濡れていました。

 

午後からも3時間彼らと腹を割った話をし、家庭環境、自分の将来について、本音はどうなのか、全てを吐き出させました。

 

子供達の心が落ち着いたのを見計って「明日から他のクラスと同じような教養の授業を小学1年生の勉強から始める」と宣言し、皆同意しました。

 

その後、この生徒達は皆優れた人間になりました。

 

私はこの出来事を通して、教育には人を変える力があることを実感しました。

 

私は1950年に建てられた屋根もない古い建物を借りて学校を始めましした。

 

最初に雇用した19人の職員と一緒に屋根を張り、建物を修繕し荒れた敷地をきれいにしました。

 

その19人の職員の半数以上は校舎を貸してくれた国営企業をリストラされた人達でした。

彼らを雇うことが校舎と用地を貸してくれる条件でした。

 

学校経営を始めた時、彼らとのことで苦しみました。

 

手に負えなくクビになった彼ら。

 

それでも機会を見つけては彼らに教育のやりがいを語り始めました。

 

彼らも私が率先して懸命に仕事を見て、ほどなく信頼されるようになりました。

 

 

また、ある年の卒業式の時のことです。

 

式の後にある子供の保護者が職員室に来て、私の手を握り「自分の子供は現在ある会社で実習中です。仕事もよくやっているようで、今日は先生のお礼を言いたくてきました。」と言い、お金の入った包みを渡されました。

 

当然その場で受け取りを拒絶しました。

 

そうするとその保護者は突然に土下座したのです。

 

あわてて起こすと、驚くことに滂沱の涙を流していました。

 

その生徒は私の知っている限りでは明るく学業も優秀な生徒でした。

 

しかし保護者の話では「学校に入ったときは少年院から釈放されたばかりでした。

 

それまで喧嘩、障害、窃盗、役人の恐喝などで7回も入院し、保釈金と賠償金で17万元を超していた」とのことです。

 

後日その生徒にあって聞くと「僕が学校に入った1日目、36度の熱帯夜の中、先生はグランドで立ったまま3時間ぶっ通しで話をし「良知」について教えたくれました。

 

その夜、僕は興奮して眠れず、今までと違う生き方をしたい、尊厳ある人になろうと決意しました」と言うのです。

 

 

私はよく教師達に、子供は皆柔軟で生き生きとした命を持っており、未成年期の過ちは教師と保護者に責任があると語っています。

 

教鞭を振り下ろす先にワットが、冷ややかな目の先にニュートンが、あざけりの中にエジソンがいるのです。

 

ほんの少しの見落としが、子供にとって自分の一生を変える機会を失わせてしまうのです。

 

呉安鳴さんは12年間働いていた公立学校を辞め、4年間必死働き、設立資金をつくり80万元を貯めました。

 

友人から借りた20万元とあわせて合計100万元を投資して学校を作ったのです。

 

教職員19名、生徒数75名から始まった学校も、現在は教職員300名、生徒数7000人になっています

 

中国の人は拝金主義的傾向の人が多いと、私は勝手に思っていた。

 

この報告会でこのような志の高い教育者・経営者がいるとのを改めて認識させられました。

 

呉さんの発表の後、中国人・日本人問わず、その場にいた参加者からの賞賛の拍手が鳴り止みませんでした。

 

涙を流した人も多くいました。

 

稲盛さんからも激賞の言葉ばかり。

 

稲盛さんは最後には呉さんが経営しているその学校を訪問したいとまで言っていました。

 

稲盛さんも児童養護施設・乳児院「大和の家」を作っています。

 

気持ちが相通じるのでしょう。

 

日本に帰ったらまた子供達に会いにいきますとも言っていました。

 

今回の旅もいい旅でした。

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