最近気になっている言葉で「群れる」と「集(つど)う」があります。
人との付き合いは苦手と思っている人も、時として多くの人と交わりたいものです。
賑やかで楽しそうな集まりに行きたくなります。
中高生のような多感な年代は、時として夜に寂しくなるとツイ明るい街中に出て行くことがあります。
そしてお互い寂しそうな者同士が集まります。
そのような状態を「群れる」と言います。
「群れる」と主体性のない行動になりがちです。
社会人のグループや団体にもそのようなものはあるように私は思います。
「集う」と「「群れる」との解釈の違いは色々あります。
ここでは私なりの解釈をしてみます。
「集う」には目的とする対象があります。
人はそれを求めて集まります。
そこにあるのは個々人の主体性。
求める目的があるわけで、そこには学ぶ姿勢があり前向きです。
前向きで学ぶので楽しくなり正の連鎖が起きます。
反対に「群れる」は目的がありません。
主体性がなく、他人や雰囲気に流されます。
互いの傷をなめ合うだけで終わります。
集う人は他人の傷を慰めつつも、同時にプラス思考で問題解決しようとします。
人は辛いことが多いと慰めを求めます。
それは自然なこと。
その状態を良き方向に向かう為には人の力も必要です。
良き人の「集い」こそが人を成長させると思います。