新聞に「さとり世代」という言葉が載っていました。
その世代は淡白で高望みしなく、生活も仕事もコストパフォーマンス重視するそうです。
そのような思考をもって「さとり」と名付けるのは如何なものか。
本来「さとり」とは「心の迷いがとけて真理がわかること」です。
下手に「さとり」とう言葉をその若者たちに使うことで、その生き方が正しいという錯覚にさせてしまう危険性があるのではないでしょうか。
高望みせず質素に暮らしながらも、志は高く持って一所懸命に生きることをしなければ、生まれてきた意味がありません。
「高望みせず生活もほどほどでいい」という生き方が出来るのは、誰か懸命に頑張った成果、生まれた富で生活しているだけです。
そのような生活はいつまでも続くという保障はありません。
いつ今の日本の経済状態が激変するかわかりません。
今のような豊かな生活は出来なくなります。
その時、一所懸命に頑張っている人しか生き延びれません。
稲盛さん和夫さんがいつも言う「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり。」
私の祖母が言っていた「下見て暮らせ。上見て励め。」
どちらも今の時代に大事な言葉のように思います。