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起業メンター日記

鳥井信治郎さん

日経新聞の朝刊に新聞小説が掲載されています。
7月より伊集院静さんの「琥珀の夢」という小説が始まりました。
サントリー創業者の鳥井信治郎さんの物語です。
その小説で興味深い事が書かれていました。
鳥井信治郎さんは大阪で寿屋洋酒店を経営していました。
その鳥井信治郎さんとの出逢いにより大きな影響を受けた人。
それが松下幸之助さんでした。
幸之助さんがまだ五代自転車店の小僧の時、その出逢いがあったとこの小説で書かれています。
読んだ人もいるかと思いますが少し紹介します。
幸之助さんは生涯、鳥井信治郎氏との出逢いを忘れる事はありませんでした。
生涯、鳥井信治郎さんを商いの先輩としてばかりでなく、その人柄に魅了され、尊敬し続けました。
鳥井信治郎さんが亡くなって19年後、サントリーの工場内に鳥井信治郎さんの銅像が完成し、その除幕式が行われることになりました。
その招待状は幸之助さんのところにも届きました。
この時、幸之助さんは87歳。
体調を崩し、公の場にほとんど出る事はなかったそうです。
出席は無理かと思われる中、その幸之助さんが「喜んで出席させていただきます」と返事を出します。
幸之助さんの体調がすぐれなく、欠席かと思っていたサントリー本社は驚きました。
そして誰よりも驚いたのが、当時のサントリー社長の佐治さんです。
鳥井信治郎さんと幸之助さんのことは知っていましたが、「そこまでオヤジのことを・・・」
当日、サントリーは幸之助さんを受け入れるため万全の態勢を取り、佐治社長が自ら幸之助さんを出迎えました。
事前の打ち合わせで、幸之助さんが望んでスピーチをしたいと申し出がありました。
壇上に立った幸之助さんは鳥井信治郎さんとの出会いからの思い出話を語りました。
会場はシーンとしてその話に聞き入りました。
佐治社長はそのスピーチに感激し、大粒の涙を流したそうです。
佐治社長はその日の幸之助さんの恩義を忘れませんでした。
幸之助さんの葬儀の時、佐治社長は自らその棺を抱えたそうです。
鳥井信治郎さん、松下幸之助さん、そして佐治敬三さん。
また鳥井信治郎さんとつながりの深いニッカ創業者のマッサンこと亀山政春さん。
人の出逢いは世の中の大きな物語を作り上げる。
そんな思いで読みました。

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