今年も残すところ後、半月ほどになりました。
年末には子供達が孫を連れて来てくれます。
子供達も親として頑張っているようです
その子供達を見て、「私はいい親だっただろうか?父親らしいことをしただろうか?」と思うことがあります。
その「父親」に関しての文章、ネットで見てそれを書き留めていました
「厳しい父親」と「優しい父親」。
その文章、少し長くなりますが紹介します。
宜しければ読んでください。
「厳しい父親」
正しいことは正しい 悪いことは悪いという物差しを子供に持たせることは親の責務である。
親や近隣の人に挨拶をする。目上の人に礼儀正しくする。
いわゆる躾と言われるものは特にそうだ。
辛く苦しいことでもとにかくやらせる。
時には叩くこともする。
焼け火箸と同じ事で、痛さで分からせることは最も心に残る。
言葉だけで言ってもそれを実感できないからだ。
実感できないものは、知識として記憶が出来ても、行動や知恵にならない。
ただ、言うまでも無いことだが、親や大人が子供を自分の感情のはけ口にしているような場合は、何の教育にもならない。
むしろ何をされようと、大人の言うことなど聞くのもかと思うようになる。
それにまつわる、ある親子の話がある。
子供が仏壇に置いてあったお金盗んだ。
それに気付いた父親は「ならぬ事はならぬ。ならぬと言え!」に従い子供に厳しい罰を与えた。
季節は真冬。
庭には雪が積もっている。
息子を庭の井戸端に連れて行くと「おまえは人としていけないことをした。
よって戒めとしてこの井戸の水を10杯掛けてやる。
しかし、そんな息子に育てたのは親であるわしの責任でもある。
お前に水をかぶせる前にまずわしが罰を受けると言うやいなや、氷のように冷たい井戸水を桶で頭から10杯かぶった。
それを呆然と見ていた息子は途中から泣き出し、自分の非をわびた。
父親は自分がかぶり終わると「次はお前の番じゃ」と言って、桶にたっぷりの水を続けて3杯息子の頭から浴びせた。
4杯目からは形ばかりの水の量。
そして5杯でやめた。
相手を厳しく叱るとは同時に自分自身のあり方への深い内省を伴わなくてはならない。
「子供に言う前に、親として叱るだけのことを自分が出来ているのか。
自分のあり方はどうだったのか」
そこには自分に向ける厳しさが不可欠である。
そうしたモノがあってこそ、初めて相手に深く伝わる。
単純に厳しく叱ることが愛情だと言う人がいるが、そこのところを良く気を付けなければならない。
相手が愛情から出た行為であること認め、受け入れてくれなければ何の意味も無い。
(二千日回峰行者 酒井雄哉大阿闍梨の言葉)
「優しい父親」
「三笠会館」という有名なレストランが銀座にある。
創業者の谷さんは奈良のご出身であり、
在家仏教で名を成した方でもあった。
現社長の仏前結婚に筆者もお招きを受け感動した日が忘れられない。
樋口さんの友人で、よく貧乏に耐えて勉学にひたむきに努める人がいた。
その友人が勉学に励んだ動機は、「おやじの弁当」だという。
彼はある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。
彼曰く、「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。
おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい入っており、
おやじの弁当のおかずは味噌がご飯の上に載せてあっただけなのに、
自分のにはメザシが入っていたことを、間違えて初めて知った。
父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。
肉体労働をしている親が子供の分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。
これを知った瞬間、『子を思う親の真(愛)情』が分かり、胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。
その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓った」
という。
それに引き換え、戦後の私権の主張のみに急な世相の中では、
「お父さんの弁当の中身は少ないが、お前のはちゃんとした弁当だから頑張れ」
などと発言しがちであるが、それでは「恩、愛の押し売りはごめんだ」と生意気な子供の言葉がはね返ってくるのがオチであろう。
(「致知」ネットニュース。『致知』2009年1月号の「巻頭の言葉」)
この2人の父親。
読んでみて、私の厳しかった父親を思い出します。
小学2〜3年生の頃、同じような悪いことをして、父から怒鳴られ叩かれたことを思い出します。
それが今、真っ当な生活が出来ている自分の根底にあります。
その恩を改めて感じています。