最近「弱者」と言う言葉が多くなり、新聞テレビでも盛んに取り上げられています。
「生活弱者」、「身体的弱者」、「教育弱者」等色々言われます。
しかし、「弱者」とは簡単に言って欲しくない言葉だと私は思っています。
傍目から見たら大変な「弱者」と思っても、本人は自分のことを「弱者」だと思っていない人もいます。
また、本人の努力不足なのに自分は「弱者」だと言う人もいます。
私は「弱者」と言う概念は多分に観念的なモノだと考えます。
今、話題の「選択の科学」という本を書いたのはシーナ・アイエンガーさんは、小さい頃から目が不自由ですが、コロンビア大学の教授で、多くの研究をしています。
(この「選択の科学」という本もとても素晴らしい本で、お勧めします。)
本を読んでみると彼女は素晴らしい科学者で、自分は眼が不自由ということは本の中では書いていません。
シーナ・アイエンガーさんンは自分を「弱者」だとは思っていないはずです。
お会いしたことはありませんが、「五体不満足」を書いた乙武 洋匡さんもテレビで見ても、自分を卑下したところは見えません。
高齢者を弱者だという人もいますが、私はただ年を取ったのだと思っています。
高齢者の中には身体の不自由な人もいますが、それはどの世代でも同じです。
逆に高齢者は金融資産を一番持っている世代です。その点から言えば若い人の方が「弱者」です。
シーナ・アイエンガーさんは「選択の科学」の中に次のことを書いています。
「保守的な政党が自由放任主義的な経済政策を志向するのに対して、リベラルな政党は大きな政府と社会計画を志向する」とあります。
本当に弱者といういわれる人もいますが、「弱者という名に隠れた怠け者」もいます。
全てをごちゃ混ぜにして一言で「弱者」という風潮に疑問を持っているこの頃です。