昨日は5月1日でした。
毎月の事ですが1日(ついたち)は琴似神社と北海道神宮にお参りに行くことにしています。
お参りして思うのですが、神様の前だと「素直」な気持ちになれます。
手を合わせながら、素直に「ありがとうございました」というお礼を述べます。
そして自分の心を見通して、わかっていたければという気持ちになります。
Something Great(サムシング・グレイト)の前では素直になれます。
お寺に行くと仏様の前でも同じでしょう。
そうすると、毎朝、神棚の前でお参りをする時も、素直になれる時なのかも知れません。
生活の中で素直になれる「時」をもつことは大切だと思います。
昔、「敷居をまたげば、男には7人の敵が居る」と言われました。
その為、人は自分の身を守ろうとします。
その1つの武器が「プライド」ではないでしょうか。
それがあることで、「負けないぞ」という競争心が生まれ、より良くなろうという向上心の元になります。
ただ、「プライド」は自己成長にとって欠かせない要素の1つですが、一方、人の話を「素直」に聞けない要因の1つでもあります。
時としてその「プライド」を捨てることも必要です。
その「プライド」を捨てることができるのが、神仏の前なのかと思います。
神仏の前なら「プライド」を捨てて「素直」になれるのです
「素直」は自己成長の重要な要素です。
「プライド」を持つこと以上に人間としての成長に必要なのです。
勿論、人それぞれですから、神社にお参りに行かなくてもいいのです。
でも、「素直な心」を意識できる機会を、自分の生活の中に多く持つことは、自己成長のための「環境作り」なのだと思います。