そして小さい頃のことを色々思い出されることがあります。
父は私が生まれる前から起業し、会社を経営していました。
私が小学生の頃には、既に家にテレビがあり、車もありました。
よそから見ればリッチな生活をしているかと思わますが、実際は家に風呂はなく、銭湯通い。
食事も質素で、時々朝食につく卵は1人1つあたらず、2人で1個。それでよく喧嘩をしました。
毎日朝食には目玉焼きを食べていた友人がうらやましかったことを覚えています。
バナナやチョコレートも年に1回か2回しか食べれませんでした。
私と同年代の人達の中には、同じような経験をした人が多かったと思います。
父のお金の使い方を思い返してみると、無駄なお金は使わず、会社でも家庭でも質素だったようです。
子供たちにも無駄なお金は使わせませんでした。
でも仕事で「ここ一番」という時は思い切って使いました。
お金には「生き金」と「死に金」があります。
そのお金を使うことで大きな効果が生まれる使い方が「生き金」
無駄に、単に欲望だけで使われるのが「死に金」です。
経営者にはこの金銭感覚がしっかりしていないと儲かった利益も使い方を間違えてしまいます。
会社強化のために内部留保を厚くし、将来の投資に備えるか、それとも税金支払うのが嫌だからと言って無駄な経費を使ってしまうのか。
この違いで10年後が違います。
ある人から聞いた話ですが、その人のお姉さんは欲しがっていたモノを買ったとたんにそれに興味を示さず、買ったモノを包装紙に包んだままにして置いて置くといいます。
これはそのモノが欲しかったというより、欲しいと思った欲望に負けて、買うという目的が達成した時、興味が無くなってしまのでしょう。
斉藤一人さんは、お金について言っています。
「『お金が好きだ。好きだ。』と言っている人がお金が入るとすぐモノを買うのは、お金が好きなのではなく、モノが好きであったり、買うことそのものが好きなだけ。
そのような人は、本当はお金が好きではないのです。
本当にお金が好きなら、お金を使ったりしません。
お金持ちがお金持ちなのは、お金が好きでお金を使わないからです。」
何も使わなければ単なるケチですが、本当のお金の価値を知っていれば、「生き金」として使えるでしょう。
私の父が質素な生活の中、テレビを買ったり、車を買ったりしてのは、新しいことに興味があり、テレビで新しい情報を手に入れる、車でお客様サービスをすると、それは「生き金」だったのでしょう。
盆休みに思い返したことでした。