昨日は「生き金」と「死に金」について書きました。
今日もお金に関して書きます。
人は何かの目的でお金を貯めます。
「10万円貯めて一眼レフカメラを買おう」と思い、1年後貯まった10万円でカメラを買います。
でも、カメラを買った後はお金が残っていませんから、何も買えません。
もしも10万円のカメラを買わず、今度は20万円のパソコンを買おうとしてまた貯めると、結果20万円のパソコンでも、10万円のカメラでもどちらもでも買うことが出来るようになります。
また、何も買わず50万円のバイクを買おうとまたお金を貯めると、50万円までのモノなら何でも買えるようになります。
私が何を言いたいかというと、「お金を貯めるということ」は「可能性を広げる」ということです。
お金が入ればすぐ使う。少し溜まったらまたすぐ使う。
このようなことをしていては自分の可能性を潰しているようなものです。
ある経営者は起業時に自己資金を現金で積み立てていったそうです。
預金するのでなく、現金を手元に置いたのです。
不用心ですが、お金を実際に確認して、お金を貯めているということを意識すると共に、お金があるが故の誘惑に惑わされない意志の強さも育てたのです。
その起業した会社は上場までしました。
以前にも紹介した話ですが、「貧乏人」と「普通の人」と「お金持ち」の考え方です。
グラスにジュースが入れられた時、「貧乏人」は満杯になる前に飲み干してしまいます。
「普通の人」は満杯になって飲み干します。
「金持ちの人」は満杯になっても飲まず、溢れ出るジュースだけを飲みます。
だからいつもグラスにはジュースが満たされています。
お金があるということは可能性を持っていることです。
1千万円あれば、「いつでも海外旅行に行ける」「大概の車ならいつでも買えるぞ」「高いレストランだって行けるぞ」と考えることが出来ます。
でもしません。
お金持ちの年配者がお金を使わないのは、将来への不安心理と共に、いつまでも「出来る」という可能性を保持したいという同じ心理からきているのかもしれませんね。