母親はどの人にとっても優しい人です。
私の母も優しい人でした。
と言ってもいつも傍にいて、色々してくれるという人ではありません。
父が商売をし、兄弟4人の他に住み込みの若い人の食事の世話などをしていましたので、休む暇なく働いていました。
小学校の頃、学校帰りに雨が土砂降りになった時、多くの他の子は母親が迎えに来てくれましたが、私の母は1度も来てくれず、ずぶ濡れになって走って帰ったことがありました。
母は「迎えに行けずごめんね」と言ってくれました。
小学校の修学旅行の時、見送り・迎えに来てくれる他の親を見ながら、「僕にもお母さんも迎えに来てくれればいいのに」と思いました。
そんなことは叶わず、仕方が無いことと判っていましたから、それ以上の不満な気持ちは持ちませんでした。
母が優しい人だというのは判っていましたから。
「構ってくれなかった」ことが、今になってみれば良かったと思っています。
一方、今の親子関係を見てみると、優しさが溢れているように思います。
その上、過保護になり、子供の生きる力を削いでいるように見えます。
ある情報によると、現在日本の引き籠りの子供の数は百万人になるそうです。
その原因の多くは親の過保護によると言われています。
ある中学生の子供が女の子を好きになったのですが、フラれそれが原因で引き籠りになりました。
過保護のあまり、子供が転ばないように親が守り、転んでその起き上がることを教えてこなかったのです。
その為一度の挫折で心が折れました。
ある子は、ねだったモノを親が買ってくれなかったからといって自殺しました。
それまでは、欲しいと言えば何でも買ってくれたのに、急に買ってくれなくなり、それが自分への愛情が無くなったのだと錯覚したようです。
子供が小さい頃は少額のモノなので買えますが、子供が大きくなり欲しいモノの金額も高くなると、それをいつまでも続けることはできません。
それを愛情が無くなったと思ってしまったのです。
「優しさとは何か」を考えさせられます。
人は時として、受け止める相手のことでなく、自己満足で愛情や優しさを表現しているのではないでしょうか。
本当の愛情があれば特別に表現しなくても伝わるものです。
優しさも度が過ぎると悪になるのでしょう。
「小善は大悪に似たり」の言葉を思い返しています。