平等について考えてみました。
平等という言葉は1つの観点だけでは捉えられない言葉の1つです。
平等には大きく分けて「結果平等」と「機会平等」があると思います。
「結果平等」とは、今の生活水準を他の人と平等になるように求めることです。
人より低い水準であると、自分も同じ水準に上げるように求めます。
「機会平等」とは人間として差別されることなく、同等に機会が与えられる環境です。
身分差別などなく教育を受けることが出来るとか、同等に安全が守られるとかです。
貧乏の家に生まれたから平等でないというのとは違います。
金持ちの家に生まれる、貧乏の家に生まれるこれは「宿命」です。
その与えられた「宿命」を背に負い、同じ人間として頑張る機会を平等に与えられている中で、頑張れる人と怠ける人では結果が違います。
頑張らなかったその結果が不平等になっているのにかかわらず、それを「平等にしろ!」を主張すれば、それは本当の平等とは言えないと思います。
頑張っても怠けても、結果同じ待遇であればそれこそ不公平です。
今必要なのは「機会平等」を沢山作って頑張る人を増やすことです。
「結果平等」は頑張っても出来なかったを人を救済するものであるべきです。
身障者であったり、頑張ったけれど病気になってしまった人です。
頑張った人の生活救済は絶対必要です。
繰り返しますが、怠けた人も頑張った人と同じ生活を許すということが不平等です。
生活保護支給額が、年金支給額より多い。母子家庭所得より多いというのも、同じ観点から問題があります。
今の日本は「結果平等」が特に大きく取り上げられています。
それより必要なのは「機会平等」で、その重要さを唱える時です。