数日前、私が良く読んでいるブログに書いてあったこと、読んで私なりに考え感じることがありました。
そのブログには、ある人の子供が成長するにつれ生活態度がおかしくなり、悩んでいるという相談を受け、そのブログの筆者が自分の体験を踏まえて書いていました。
相談をした人は、いっそのこと「勘当だと言って追い出した方がいいのか」と考えているようでした。
その筆者も同様に子供の問題で悩んだ経験を書いています。
私は子供が5人居ます。
子育ての間は色々ありましたが、子供達はしっかりと育ったと思っています。
でも最近子供達に聞くと、時に横暴な父親のために布団の中で泣き、兄弟で慰め合っていたとのことです。
私としては、「厳しかったかもしないが横暴ではなかった」と思っていますが・・・
親は親として悩み、子は子として悩む。
子供が小さい頃は「お父さん、お父さん」と慕ってくれても、成長するにつれ、自我が芽生えると共に、反発心が生まれ、最初の大人である親に反抗するのでしょう。
親は親で「なぜいうことを聞かないのか」と怒ります。
でも、その時ツイ「勘当だ!家を出ていけ!」と言ってはいけないのです。
そのブログの筆者は「親は鞘(さや)です。子供が帰れる鞘は残していおかなければなりません」と書いていました。
私はこの「親は鞘なんだ」という言葉に改めて気付かされました。
(この「鞘」は「元の鞘に納まる」という言葉からきています。)
子供が大人になり、どのような生活をしても、いつか困った時、悩んだ時、帰って来れる親元があるのだということ。
子供がいつでも帰って来れるよう、親としていつでも迎えるという心意気で居れること。
今回ブログでその大切さを知らされました。