日街を歩いていて、ブックオフに何気なく立ち寄りました。
フッと目に入ったのが「父母への手紙」という本でした。
立ち読みしたのですが、素敵な両親の思い出が語られていました。
その時、自分の父母との思い出は何があるだろうかと思ったのです。
居るのが当り前のように存在した両親。
何不自由なく育ててくれたことが当り前のように思っていた自分。
両親が死んで1年2年経ちます。
来月は母の1周忌です。
沢山あるはずの母との思い出、思い返してもあまり出て来ません。
なんと親不孝な息子だと思いながらも思い出すと、ありました。
私は物心ついた時には既に左の耳が聞こえていませんでした。
右の耳はチャンと聞こえます。
その左耳治療のため母は私を色々な病院に連れて行きました。
この病院なら直るかもしれないと聞いたらすぐ連れて行きました。
母に手を引かれて市電に乗って札幌医科大学病院、バスを乗り継いで北大病院など覚えています。
分厚いドアの検査室に入って検査をしました。
耳が聞こえなくなった原因はストレマイシンという薬の様です。
私が生まれたのは8月。母乳が出なかった母は、粉ミルクを飲ましてくれました。
母の話しでは、作り置きしたミルクが、8月の暑さで悪くなってしまい、それを飲んだ私はお腹を壊したそうです。
医者にに見せるとすぐストレマイシンが打たれのです。
それが左耳が聞こえなくなった原因のようです。
母が私が高校生の頃、そのことを話してくれ、謝っていました。
小さい頃から左の耳が聞こえませんが、右はよく聞こえるので、ほとんど不自由は感じませんでした。
人は皆、耳が2つ付いているけれど、そのどちらか1つしか聞こえないものだと私は思い込んでいました。
勿論、障害者だとの自覚はありません。
母が年老いて私と住むようになってある時、何気なく「すまないね」「ごめんね」と言いました。
80歳を過ぎても私の耳のことを気にしていたのです。
「全然気にしてないよ。大丈夫だよ」と言っても申し訳なさそうな顔をしていました。
そして悲しそうでした。
昨日はそんなことを思い出しました。
親はありがたいものです。
母の写真に合掌しました。