モノの見方についてです。
Aはあるモノを上から見てその形は「丸」と言います。
Bもそれを下から見て、同じように「丸」と言います。
Cは同じモノを右横から見て、「長方形」といい、Dも左横から見て「長方形」と言います。
見たその形は、それぞれどちらも「事実」です。
でも「真実」の形は円柱。
同じようなことで、盲人が象の鼻や尻尾や足を触って、それぞれの形をもって「象はこうだ!」を語っている話があります。
最近の新聞やテレビでは同じようなことが行われています。
自分の都合のいい「事実」は報道するが、別の「事実」はあえて報道しない。
何かの意図があるのでしょうか!?
自分なりに多くの情報から「事実」を積み重ねていくと別の姿が見えてくることがありまあす。
そうなると都合のいい報道しか流さない報道機関の別の意図感じてしまいます。
コロナに関する報道を見・聞きしているとそう思います。
報道機関は1つの事象に対して、多くの「事実」を提供すること。
それが第一使命だと私は思います。
報道機関の自社の主義・主張に則した「事実」だけを提供し、その上に立っての論評は世の中に混乱を起こさせます。
烏賀陽弘道(うがやひろみち)氏の著書「フェイクニュースの見分け方」に書かれていたこと。
1・発言者が不明の匿名の記事は信用しない。
2・誰が話したかが分からない、主語のない記事は信用しない。
3・根拠になる事実を示さない記事は信用しない。
この3点は大変参考になる指摘でした。