この「闘争心を燃やす」について稲盛さんは次のように書いています。
仕事は真剣勝負の世界であり、その勝負には常に勝つという姿勢で臨まなければなりません。
しかし、勝利を勝ち取ろうとすればするほど、さまざまな形の困難や圧力が襲いかかってきます。
このような時私達はえてして、ひるんでしまったり、当初抱いていた信念を曲げてしまうような妥協をしがちです。
こうした困難や圧力を跳ね返していくエネルギーのもとはその人の持つ不屈の闘争心です。
格闘技にも似た闘争心があらゆる壁を突き崩し、勝利へと導くのです。
どんなにつらくても、「絶対に負けない、必ずやり遂げてみせる」という激しい闘志を燃やさなければなりません。
経営者の中には勝ち気で負けん気が強く、闘争心があり、ボクシングやレスリングなどの格闘技が好きだという経営者が多いです。
しかし稲盛さんは誤解していいけませんと言っています。
闘争心というのは「相手を打ち負かす闘争心」ではないのです。
「例えば路傍の草木を見ても、夏の暑い盛りなど、まるで競い合うようにして生きています。陽の光を少しでも沢山浴びようと精一杯葉を伸ばし、一生懸命炭酸同化作用を行い、養分をたくわえ、来るべき過酷な冬を耐えて、再び春を待つのです。雑草でさえ全てが一生懸命に『生きよう、生きよう』と努めています。
「そのような草には、隣に生えている草を打ち負かそうとなど思っていません。ただ、自分が陽を浴びようとして精一杯葉を伸ばしているだけなのです。周りの草も同様に、必死で生きようとしています。」
「実際に、一生懸命に努力した者、誰にも負けないような努力をした者が、世の中に適応して生き残り、努力しなかったものは絶えていく、この適者生存こそが自然界の掟なのです」
私は稲盛さんが、闘争心を草木に例えたことで良く理解できました。
弱肉強食の様に相手を食べなければ自分が生き残れないという世界ではないのです。
闘争心は脅威から自分達を守るためと、自分の「怠け心」との闘争に必要なのでしょう。
稲盛さんが掲げている経営の12カ条の8項目に「燃える闘魂」というのがありますが、それも同じ意味を持っているのだと思います。