「小善は大悪に似たり」です。
これについて稲盛さんは次のように書いています。
「人間関係の基本は、愛情を持って接することにあります。しかし、それはもう盲目の愛であったり、溺愛であってはなりません。
上司と部下の関係でも、信念も無く部下に迎合する上司は、一見愛情深いように見えますが、結果として部下をダメにしていきます。これを小善と言います。
『小善は大悪に似たり』と言われますが、表面的な愛情は相手を不幸にします。
逆に信念を持って厳しく指導する上司は、煙たいかもしれませんが、長い目で見れば部下を大きく成長させることになります。これが大善です。
真の愛情とは、どうであることが相手にとって本当に良いのかを厳しく見極めることなのです。」
「小善は大悪に似たり」という言葉は仏教からきた言葉だそうです。
稲盛さんは私達に語る時は「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり。」と言います。
私はこの言葉を聞いた時、昔の私の体験を思い出しました。
北海道帯広市で銀行員だった頃、営業の部門は定期預金を集めてくるのが主たる業務でした。
彼らは得意先係と言いました。
当時の支店長は大変厳しい人で、担当者に毎月3000万円の預金を集めるのがノルマとして与えました。
毎日100万円集める勘定になります。そう簡単ではありません。
ボーナスが出る時期は定期預金獲得の一番の時です。
官庁にボーナスが支給された日は、夕方から官舎を定期預金依頼をして回ります。
その日は支店長は、7時8時頃に帰ってくる得意先係を入口のところで待ち、100万円の定期預金を獲得しているかチェックしました。
獲得していなかった人はもう一度営業に行かせます。
8時以降に官舎を廻ると、「夜遅い!常識を考えろ!」と怒られることもあります。
水を掛けられることもあります。
最後には100万円獲得できなくても、10時頃になってやっと入れてくれます。
当時の得意先係は皆、大変苦しい思いをしました。
そこで鍛えられた得意先たちはその後、転勤していった先でものすごい活躍をし、支店長までなった人が多かったです。
そんな厳しい支店長でしたが、私には私的に大変お世話になった人でもありました。
私が結婚した時、いろいろなことがあり、結婚式が出来ませんでした。
そんな私達を哀れに思ったのか、支店長が指示し、銀行の人達が企画して銀行の2階の会議室で結婚式をしてくれました。
急に「明日の日曜日に結婚式をする」と言われ、なにも用意していない私達は、家内にスーツを買い、私は普段のスーツで出席しました。
銀行の2階の窓を暗幕で覆い、キャンドルサービスから始まりました。
出席者は50名ほどの銀行員の仲間だけです。
私達がひな壇に行くと、そこには支店長と次長が座っています。
皆の前で婚姻届に私達二人がサインをし、支店長と次長が保証人のサインをしてくれました。
その結婚式のことは今でも忘れません。
仕事では大変厳しい支店長も、仕事を離れればとても愛情深い人でありました。
「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり。」という言葉は私にとって身にしみている言葉です。