『江戸は100人の手間がかかっているようでいて、じっと見ると80人の手間しかかけていない。
上方は100人のようでいて実は150人の手間がかかっている』」
これは今朝の日経の春秋に書かれていたものです。
江戸は見てくれにこだわり、上方は人の目の届かないところまで手を抜かず、仕事をするということを言っています。
上方の大工の方がいいということです。
私はこの春秋を読み始めた時、最初江戸の大工の方がいいと書いているのかと思って読み進めました。
でも、そうではなく上方の大工がいいという話になっていました。
私はどうしても生産性や効率性を頭に浮かべてしまうせいか、つい江戸の大工の方がいいと思ってしまったのです。
その時代、その人の考え、環境によって、この江戸の大工と上方の大工の評価は1つではないように思います。
宮大工と普通の大工とは求められるののが違いますから、別の次元の話になるでしょう。
モノを作る時、手を抜くことはダメですが、手を掛ければいいというものでもありません。
お金を気にせず、いくらでも手間を掛けることは出来ます。
しかし、経済性を考えた時には、如何に生産性を高めるかというのも大切なものです。
より良いものをいかに高率良く低コストで生産するか。
手間を掛けて、人件費が高くなり、コスト高になっても求めれてているのものが同じであれば、人手を掛けただけ無駄になります。
20年ほど前に中国の合板製造会社に視察に行きました。
幅広い機械で丸太をかぶらむきのように薄くはいでいました。
機械1台にかかっている人は5~6名位。
同行した日本の製造会社に人に聞くと、日本では2名位で作業するそうです。
中国の工場側の説明では、丁寧に仕事をしていると言っていましたが、単に人海戦術だったのでしょう。
人手を掛ければいいというものでもありません。
今は中国でも効率を求めて、以前のようではない様です。
求められている者が何なのか芸術性なのか、職人技なのか、それもと低価格なのか。
これを受ける側が整理して、お客様と折衝しなければ、お客様が満足できるものを作ることは出来ません。
時としてこれがトラブルの元になります。