先日、街を歩いていると、「自分史を作ります」という看板を見付けました。
「自分史」とは自分の過去の事柄をまとめて本にすることです。
歳を取り、そろそろ人生も終わりかなと思って、自分の過去の事柄を書き残しておこうということなのでしょう。
普通の人が「自分史」作りをするようです
子孫達に自分の生きた証を残すことが願いなのでしょうか。
私は作ろうとは思いません。
子孫にとっても迷惑な話だと思います。
そんな親や爺さんの「自分史」を読みたいとも思うはずもありません。
会社を創業し、実績を上げた創業者が生前に自分の銅像を造ろうとした話も聞きます。
あまり好きではありません。
人が生きている間に成したことは、たいしたことは無いと思います。
それでも他者がその人の功績を評価してくれた時、その人の名前は残るのでしょう。
市井の人の1人として、するべき仕事を一生懸命し、正しく生き、死んで行く。
それが一番いいのだと私は思っています。
亡くなった永六輔さんは「人は2度死ぬ」と言ったそうです。
1つめは肉体的な死。
2つ目の死は、その人が生きていたということが忘れられた時だそうです。
自分史作りや銅像造りは2つ目の死を恐れたからなのでしょうか。
私は忘れられてもいいと思っています。
法事の時やお盆の時、思い出してくれれば、それでいいでしょう。
それも思い出してくれるのはせいぜい私の子供達だけ。
それ以上はいいです。
きれいに死んでいく。
それも1つの生き方だと思います。