現代訳されたののですが、20年ほど前に読んで、そのご本棚に仕舞いっ放しでした。
少しカビ生えた本ですが、再読しています。
「葉隠」という本はご存じの方も多いかもしれまし、以前にも紹介したかもしれませんが、改めて紹介します。
江戸時代元禄の頃、佐賀鍋島藩士山本神右衛門常朝という武士の言葉を、その弟子が書き残したものです。
この「葉隠」という本の名を聞いて、「武士道とは死ぬことと見つけたり。」という言葉を思い出す人もいるでしょう。(特に年配の方は)
「葉隠」に書かれているこの言葉を戦時中、軍部などが利用して若者を死地に駆り立てたことを知っている人にとっては、「葉隠」と聞いただけで嫌悪感を持つ人もいます。
でも真意は違います。
常朝は続けて行っています。
「死ぬというのは、死ぬか生きるかという2つに1つの選択の場に立たされたならば、ためらわず、死ぬ方(不利な方)を選べということ。そこに腹を据えて進むこと。それで失敗したら犬死だというのは都会風のもっともらしい理屈にすぎない。2つに1つの選択で、こちらにすれば必ず成功するなどというのは不可能なことだから、なんとか死なずに済む様な理屈を付けるだろう。その結果失敗すれば、命が惜しさに、ああした腰抜けだということになる。失敗して犬死するのはきちがいであって恥ではない。それが武士道というものだ。」
要するに、ものごとを判断する時、自分の利害や損得で決めてはならない。しかしその欲求は捨てにくい。自分が損しないような理屈をつけたがる。それを防ぐのにその逃げ道を塞ぐということです。
そして、たとえそれで死んでも私利私欲のための失敗でないから恥ではないのです。
「葉隠」に書かれている言葉は、人生訓として現代社会に通じる内容が豊富に書かれています。
これから時々、ご紹介して参ります。