私は今まで多く人達にお会いし、教えや指導を受けていました。
祖父祖母、父母、学校の先生、そして社会人になると教育担当の先輩、上司から教えや指導を受けました。
小さい頃一度だけ父から殴られたことがありました。
今でも覚えていますが、母が入院している夏の暑い日に、お手伝いに来たおばさんの財布から5円盗んで、家の向かいの店でアイスキャンディを買い食いしました。
友人達が皆アイスキャンディを食べているのが我慢できなかったのです。
なぜ見つかったか分かりませんが、父からひどく叱られ、「悪いことは悪い!」と殴られました。
殴られながら叱られたそのお陰で、その後2度と悪さはしていません。
今考えると、父は自分の子供が盗みをするということにびっくりし、「ここで叱り、直さなければ!」という気持ちだったのだと思います。
入院していた母もきっと悲しい思いをしたのでしょう。
叱られ殴られても、自分が悪いことしたということも分かっていました。だから納得しました。
銀行に入っても色々な人に教えられました。
以前にもブログで書きましたが、入行して間もない頃定期預金係の窓口担当している時、あるお客様から帯付きの100万円の束を受け取りました。
数えたのですが1枚足りません。
2度3度数えても足りません。自信のない私は、自分の間違いかもしれない思いながら、お客さまに確認したところ、「そんなはずはない!」と言われそのまま100万円の定期預金証書を作りお渡ししました。
業務終了後改めてお金を数えると、1万円足りません。やはりあのお客様です。
そのことを上司に話したところ、ひどく叱られると思ったのですが、「自分に自信を持って仕事をしなさい」と言葉丁寧に指導されました。
いつもは厳しい上司ですので、怒鳴られるかと思っていたのです。
それが優しく指導してくれたのです。
思い返すと、きっと厳しく叱ると益々私が自信を無くすと思ったからなのでしょう。
「理解する」と「納得する」とは違います。
今紹介しましたように、殴られても納得できます。
言葉丁寧に叱られても納得します。
誰に話をするにしても納得されなければ意味がありません。
一生懸命話していても、相手が「理屈は分かります。でも・・・」と言う人がいます。
これは聞く相手が悪いのではなく、話している方に問題があるのです。
頭のいい人がよく陥るのがここです。
理論武装して、相手がら反論できないくらい言いくるめても、納得しないことが良くあります。
納得には言葉だけでなく、「相手を思う気持ち」が大切です。
時には言葉が無くても、後ろ姿で教えるということも出来ます。
有能な若い経営者が会社運営で空回りしている時、このような状況に陥っているのが多いです。
「相手を思う気持ち」があれば、例え叱り倒しても分かってくれます。
松下幸之助さんは部下を叱る時は真剣に叱れと言っていました。
幸之助さんは部下を叱った後に、奥さんに「今日ご主人がしょんぼり帰るかもしれないけれども、何か美味しいものを食べさせてあげて」と電話することもあったそうです。
そのような部下を思いやる気持があればそこ、叱られた人は、より一所懸命頑張るのでしょう。
その時は「納得」が「信頼」に変わるのです。