今日は私が書いている「銘肝録」を読み返していて、いい言葉がありましたのでご紹介します。
誰かの言葉です。(私ではないと思います)
「気配り」とは自分が傷つかず、相手に気に入られるために神経を使うことです。
相手によって気配りの程度も態度も違ってきます。
「心配り」とは相手を傷つけず、相手により良くなってもらい、突き詰めれば生きる勇気を与える為に神経を使うこと。
それは思いやりとなって表面に出てきます。
「心配」とは自分の目的にストレートに神経を使うこと。
「配慮」とは自分の目的を果たすために、ヨコに神経を使うこと。
「自由」とはお互いに認め合うルールを守った上で、フリーにプレーすること。
自由とはお互いに厳しいもの。
「勝手」とはお互いに自分だけが認めるルールでプレーすること。
「心が広い」とは自らの利害に対し、マイナスやダメージがあること、不利なことに対しても寛容で許すこと。
「正義感」とは自らの利害関係のないことに対しても「許さん」という強い信念を言います。
自らの利害に対して許さないという心情や感情を持つことは「正義感」でも。「心が広い」のでもありません。
単に「心が狭い」人なのです。
また、どんな時でもニコニコしている人は「心が広い」のではなく「お人好し」にすぎません。
以上の様に、言葉とは似ているようでも、その意味するところが全く違ってきます。
最後に紹介しました「心が広い」「心が狭い」「正義感」「お人好し」の内容説明は、よく自分が陥るところで、意識しています。