決断出来ないでいると、迷って、それが恐怖につながり、結局何も出来ないでいる状態のことです。
人が何かを決断する時、常に「どうしようか」と考えます。
特に自分の人生が変わるかもしれない時はそうです。
一歩を踏み出す勇気はそう簡単ではありません。
でも、必要な時必要な決断をすることが出来なければ、後で後悔します。
ですから誰であれ、決断をしなければならないのです。
もしかしたら、生きていくことさえ出来ないかもしれないのです。
それでは決断する勇気はどうしたら出来るのでしょか
それを作るいい方法があります。
身近のたわいもないことで訓練するのです。
たとえばレストランに入った時、何を注文するかすぐ決める人と、いつまでも迷っている人がいます。
そういう時こそ訓練の時です。
料理選びのその決断で後悔することであっても大したことではありません。
決断する訓練なのです。
訓練としては「メニューを見たら10秒以内に決める」と自分で決めておくのです。
注文して、それが意に添わないものが来ても、後悔しないのです。
「決断して全てが上手くいくはずはない」ということもその訓練で勉強します。
決断するという行為そのものの訓練のためです。
それでも、決断できないのなら、「メニューの最初に出てくるものを注文する」と最初から決めておくのです。
そうすると、機械的に決断することが出来ます。
慣れないうちは「決断するぞ!」と意識します。
でも色々な場面で他愛もないことでも決断を訓練していくと、大切な決断も容易に出来るようになります。
決断出来ない理由は、後で後悔したくない、損をしたくない、という思いからです。
でもこの世の中は5分5分です。フィフテ・ィフィフティです。
そのことがわかりさえすれば、決断は怖くありません。
決断が思ったことと、たとえ違っても大したことはないのです。
今の日本では余程のことがなければ、間違えた決断で命が無くなるということはありません。
独立するか、起業するか等の決断する時などは、余程検討して調査しているわけですから、その成功率は5分5分以上に成功率は高いのです。
昔ある人から聞いた話です。
「出来ると信じて始めたことは6~7割は既に成功している」と言うのです。
疑心暗鬼と言う言葉があります。
疑いの心でいると暗闇に鬼がいると思ってしまう心の状態を言います。
それでは「信心来喜」はどうでしょう。
この言葉は私が勝手に作った言葉ですが「信ずる心で行えば、喜びがやってくる」と言う意味です。
この世の中は決断だらけです。
「私は決断力がないな」と思った人がいましたら、どうぞ今度レストランへ行った時、思い出してやってみてください。
いい訓練になりますよ。