この本は読んでいませんが、以前読んだ「球場のビールはなぜ800円でも売れるのか」と同じような内容でしょうか。
改めて商売の原点を考えてみました。
売れないから安くするのか、それとも最初から安くしないと売れないと思うから安くするのか、どちらにしてもモノの売値が安くなっています。
でも100円のコーラが1000円で売れるのはなぜ。
800円でも球場では生ビールが飛ぶように売れるのはなぜ。
それは当り前のことですが、お客様が高くても欲しいと思うからです。
夏に山を登って行くと頂上付近に茶店があり、冷たいジュースやコーラが地上の何倍も高い値段で売られています。
スキーをに行ってヒュッテで食事をしようとすると、温かい豚汁が結構高い値段で売られています。
これらは必要とされているところに、必要とされるものを出すから高い値段で売れるのです。
言われてみれば当り前のこの事ですが、それを忘れ工夫をするのを怠って、売れない売れないといって言っているように思います。
以前のブログで「てんびんの詩」というビデオの話を書きました。
天秤棒商売は商売の原点です。
必要とされる場所に必要なモノを天秤棒に吊るして運び、それを売り、その代金で新しく商品を仕入れ、それを必要とするところに運び売ります。
その利ザヤの積み重ねで持ち金を増やし、店を構えることが出る商人も出るようになりました。
天秤棒商売の発祥の地、近江八幡市の観光ガイドにこのことが詳しく書かれています。
要約しますと、近江八幡は天正13年に豊臣秀次が八幡山に城を築き・開町した事に始まります。
城主の秀次は、理想に燃えて町づくりに励みましたが、秀吉により清州(きよす)の城主に移された後、切腹させられました。
それは近江八幡が開町後わずか10年目のことであり、八幡城は廃城の悲運に見舞われました。
城下の商人達は、城主からの庇護(ひご)やその他の特権を一挙に失いました。
ゼロからの再出発です。
彼らは肩に天秤棒をかつぎ、あるいは商隊を結成して全国に行商に出かけ、新しい市場を独自で開拓しなければなりませんでした。
こうして近江八幡は町人を主体とする町に生まれ変わって行ったのです。
近江商人が取り扱った商品は最初の頃、畳表、蚊帳、数珠などの地場産品だと言われます。
それらを関東で売りさばき、その代金で現地の紅花(化粧品の原料)などを仕入れ、それを京都に持ち込んで売りさばきました。
さらにその代金で京都の古着を買い入れ、全国各地に売り歩き、その代金でまた、土地の産物を仕入れるという商売をしました。
これが「のぼり天秤」「くだり天秤」と言われる無駄の無い往復商売です。
必要なところに必要なモノを運び売るのです。
やはりこれが商売人の原点ですね。
世の中、来年に向かい激動が予想されますが、この商売の原点を忘れず、広く日本・世界を見渡すことで新しい商売の道筋が見えてくるように思います。
「どこで」「誰が」「何を」必要としている、今改めて見直してみてはどうでしょう。