今朝NHKのニュースを見ていると永田秀次郎という人が紹介されていました。
大正12年の関東大震災が発生した時の東京市長です。(当時、東京は市でした。)
その人が高野山に奉納した陶板が発見されました。
以下はそのニュースの要約です。
10万5000人あまりが亡くなった関東大震災の犠牲者の名前を記した大量の名簿が和歌山県の高野山にある慰霊堂の地下で見つかりました。
震災当時、永田は市長として、衛生上の理由から膨大な数にのぼる遺体を身元を確認しないまま火葬にするという苦渋の決断をしたのです。
永田は後、その時の気持ちを「心中は実に痛苦に堪えざりし所なり」と記しています。
永田は震災の7年後に私費を投じ高野山に慰霊堂を建てました。
そこには永田が可能な限り調べた犠牲者の名簿が書かれています。
また犠牲者の名前を長く残すため、変質しにくい陶器製に書き残したのです。
名簿には震災で犠牲になったアメリカ人の名前もあり、タイルに焼付けられた犠牲者の名前は5万5000人にのぼっています。
人から非難されようと、病気の蔓延という2次災害を防ぐため、犠牲者の身元確認もせず、まとめて火葬にしてしまう永田市長の冷徹な判断力と大胆な実行力。
そこにはブレない心の強さがあります。
永田市長はその時の苦渋の思いを抱き続け、7年後私費を投じて陶板に死んだ人の名簿を書き残し、慰霊塔に安置したのです。
「溢れるばかりの情を持ちながら、冷徹な判断をする」
これは組織のトップに立つ者の「心構え」でしょう。