今日は京セラフィロソフィ44項目にある「チャレンジ精神を持つ」についてお話します。
「人はえてして変化を好まず、現状を守ろうとしがちです。
しかし新しいことや困難なのとにチャレンジせず、現状に甘んじることは、既に退歩が始まっていることを意味します。
チャレンジというのは高い目標を設定し、現状を否定しながら常に新しいものを創り出していくことです。
チャレンジという言葉は勇ましく非常にこころよい響きを持つ言葉ですが、これには裏付けが必要です。
困難に立ち向かう勇気とどんな苦労もいとわない忍耐、努力が必要です。
自分達にはとてもできないと言われた難しいものをつくるというチャレンジの連続が、京セラを若々しく魅力ある会社にしてきたのです。」
稲盛さんはこの言葉に続いて、
「チャレンジとは格闘技にも似た闘争心を伴う戦いを意味します」とも言っています。
経営の12カ条8項に「燃える闘魂」というのがありますが、それと同じものです。
ですから、このチャレンジ精神は「闘争」であり、もう一つバーバリズム(野蛮主義)と表現することも出来ると言いいます。
歴史における文明の興亡を例に取り上げています。
ローマ帝国がほろんだ一つに好戦的なゲルマン人の侵攻がありました。
蒙古民族の元はヨーロッパの文明人を攻めました。
文化レベルの高く知識も豊富な文明人が勝つだろうと思いますが、実際はより強い闘争心を持っている野蛮人が勝ったのです。
会社もそうです。
歴史もあり、高学歴の人が多い会社より、野蛮と言われるほどの闘争心を持つ会社が新しい分野や事業に果敢に挑戦し、勝利するのです。
マンネリ化した会社の多くは「確実に経営する」という名目の上で、チャレンジを忘れ衰退していくのです。
ただ稲盛さんは「チャレンジも軽々しく挑戦すればとんでもない大失敗を招いてしまいかねません。
どんな障壁に当たろうとも、それを乗り越えて努力を続けていくというタイプの人でない限り、チャレンジしてはならないと私は思っています。」と言っています。
下手にチャレンジをすると大やけどを負うかもしれません。
だから無理することは無いのです。
しかしチャレンジを忘れた会社は衰退して行きます。
闘争心を持ち続ける会社のみが勝ち続けるのです。