アスリートもそれを究めていくと達人と言われるでしょう。
大分以前に紹介しました、江戸時代に書かれた「葉隠」という本の中に、達人と言われる人が述べた言葉がありました。
それを紹介します。
ある剣の達人が老後に行ったことがある。
「人間の修行には段階がある。
修行の初期ではものにならず、自分でも下手と思い、人も下手と思う。その分ではまだ用には立たない。
中の位はまだ用には立たないが、自分の下手さも、他人の不十分さも分かるようになる。
上の段になると、全てを会得して自信も出くるし、人が褒めてくれるのを喜び、他人の不十分さを嘆く。こうなればものの用に立つ。
その上の上の上になると知らん顔をしている。そして人も上手だと見ることが出来る。だいたいの者がこの段階までである。
その上にもう一段飛び越えると、言うに言えない境地が広がっている。その道は深く入れば入るほど、つい果てるともない無限の世界だと分かって、これで良しという思いもなくなり、自慢心も起こさず、卑下する心もなく進んで行く道である。」
この中では「人間の修行」と書いていますが、江戸時代の武士が書いた本ですから剣の修行に近いイメージでしょう。
しかし、現代ではスポーツ、芸術、職人の技術を磨くということばかりでなく、「人間としての成長」そのものを述べているととらえることが出来るでしょう。
稲盛さんも言われている、人として「魂を磨く」に通じるものを感じます。
私はこの葉隠れの文を読んだ時、その上の上の上という人がいて、またそれを飛び越えている人がいるということに感心しました。
同時に、「それに比べてわたしは・・・」と思ってしまいまうのです。
全てのことは奥が深いということです。
上っ面だけですべて分かっているつもりになっている自分への諌めです。
ただ、達人にはなれなくてもその達人を目指す生き方こそが大切なのかもしれませんね。